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第1回・大 賞「近畿経済産業局長賞」
ありがとう物語
倉敷紡績㈱
ライフスタイル部ユニフォーム課
絹本 良和約10年前の話です。あるユーザー様のユニフォームコンペに呼ばれました。素材メーカーである私としては参加すべきか迷いましたが、折角のご縁ですので、参加させていただくことにしました。ユーザー様の全国の工場数箇所を回り、着用者のご要望をお聞きし、それを当社のデザイナーと幾度となく打ち合わせをし、デザイン提案、製品提案・価格提示をさせていただきました。ユーザー様の総務部から「コンペ参加企業10社中、価格が一番高い。現行価格の1.5倍、他社提案製品と比べて2倍ぐらい」、と言われました。
「何故それだけ高いのか?」と何度も聞かれ、素材の特徴やこだわり、デザインのカッティングや動きやすさ。縫製の技術等々をご説明させていただきました。
その後、実際の洗濯試験、着用試験のチャンスをいただきました。その結果、全国数箇所にあるユーザー様の現場の方の評価は当社製品が一番良いということでした。
そういった声を受け、仮に当社製品を導入すると、大幅なコストアップになることから、ユーザー様全社で相当喧々諤々あったようですが、結局当社製品をご採用していただくことになりました。
ユーザー様の着用現場は非常に暑い現場でした。従いまして、毎日着替える必要もありましたので、初年度は従業員一人当たり5枚支給され、毎年5枚ずつ支給していく、という計画でした。ただ、新ユニフォーム導入して1年経過し、ユーザー様を訪問した際に、感謝のお言葉を頂戴しました。
「洗濯回数は多く、ある程度のダメージは予定していたが、生地がしっかりしていること、縫製もきちんとされていることから、初年度導入したユニフォームの傷みが少ない。ついては2年目の支給枚数を減らしたい」ということでした。
当然私はその申し入れをお受けしたと共に、ユーザー様から「ユニフォーム導入コストが大幅に下がったこと」に対して御礼のお言葉をいただきました。(私の売上計画は当然大幅に下回ってしまいましたが。)
またその時に現場の方から感謝のお手紙を頂戴しました。
「毎日家で洗濯しても型崩れも少なく、アイロンなどの手間が非常に省けます。またデザインも格好良く、地方の街で着用していたら、声をかけられる。こんな素敵なユニフォームをご提案いただき、ありがとうございます。」
このお手紙をいただき、会社に帰り、デザイナーと縫製技術員で、何度もこのお手紙を読み返し、喜びを分かち合いました。素材メーカー冥利につきる瞬間でした。
私は素材メーカーですので、こういったユニフォームコンペに直接参加することはほとんどありません。
デフレ日本で、デフレの象徴とされてきた衣料品、当然ユニフォームもその中の一つではあります。「安かろう悪かろう」の製品は結局ユーザー様の満足が得られないことがよくわかりました。ユーザー様のことを本当に真剣に考えたときに、素材の優位性、デザインの特徴・仕事のしやすさを、ユニフォームに携わる我々がしっかりと説明し、ご提案していくこと、これが一番大事であり、ユーザー様の満足が得られることがよくわかりました。
今後もこういった動きをアパレルの方々やユニフォームに携わる皆様と一緒にできればと考えております。
なお、10年前のユニフォーム、現在もまだご着用していただいております。そろそろ更新の時期かと思いますので、このユニフォームを越える製品をご提案できるように準備を進めていきたいと思います。
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第1回・優秀賞「大阪府被服工業組合賞」
商売より将来
元・トンボ㈱
佐野 勝彦『ええっ』『ああっ』観客席で声が上がり、目が一点に釘付けになるのがわかった。
何が起きたかわからず、視線の先を追うと、壇上でポーズを取っているモデル8人のうち、男の子モデルが顔面蒼白になってへなへなと座り込む瞬間だった。
舞台を背に、観客席に向かって先生方に説明していた私は、一瞬判断に迷った。
モデルは何とか立ち上がるように見えたので、このまま無視して話を続けたらよいのか、それとも打ち切るべきなのか?
今、この瞬間は、これまで二ヶ月もスタッフ総がかりで準備してきた学校制服をプレゼンするコンペの時間。しかもライバル三社は先に終わっていて、こちらは三十分の持ち時間のうち、まだ半分が過ぎたところ。
打ち切れば、説明不足でマイナス点、いや、そもそもプレゼンになってないのではないか?
思惑がどっと押し寄せたが、自分で考えを整理する前に身体が動いた。
前にいる制服検討委員会メンバーにちょこんと頭を下げ、壇上に駆け上がって、まだ焦点が定まらない目でふらふらしているモデルを支えた。
他のモデルがどうしたらいいかと目で詰め寄ってきたので、とっさに
『申し訳ありません、アクシデントがありました。商売よりも若い人の将来が大事です、人の命優先です、御校もきっと同じだと思います…伝えたいことは先ほど申しましたとおりです… ご静聴ありがとうございましたぁ…』
しどろもどろで〆の口上が出てしまった。ぱらぱらと拍手が起き、司会者が『いやご苦労さん、大事にしてあげて』『では、これで制服検討会を終了します、窓際の先生はカーテンを開けて。ヒーターのスイッチも切って』云々と指示を出してイベントは終わってしまった。
絶対落としてはいけない学校だった。関東の私学で、バレエはローザンヌ留学生を輩出し、全国規模の競技会でも名前が挙がる著名校。そのため、制服デザインは、幅を広げて賢そうに見える理数系タイプと、スポーツ特進タイプの二種を提案することになり、印象を深くするため、普段は一本足のボディで済ますところを、かわいいモデルを使えと指示が出た。
事前にオーディションし、役割を割り振ったが、皮肉にも、貧血で倒れたモデルは、スポーツ特進にぴったりの体格と面構えで選んだ子だった。
帰り道、年が明けて間もなしの上毛沿線はうすら寂しく暗く、モデルたちも黙りこくり、顔に失敗の字が浮き出ている私を気遣ってか、スタッフも所在投げにパソコンに向かい、車内は、まるで葬儀列車のようだった。
だが翌日、状況は一変した。学校から、制服採用の電話が入ったのだ。てっきり落選したものと決め込んでいたので、何度も聞き直すと、商売よりも、若い人の将来と命を優先したことを評価する、企画以前の企業姿勢の話だ、とのことだった。
あれから六年、提案した、いや提案しそこねたデザインは、地域に溶け込み、受験生にも評判がいい。もちろん、学校の温情と判断を意気に感じたわれわれが、県下一、日本一の制服をめざして常ならぬ力を注いだことも事実ではあるが。
昨年秋、就職が決まった在校生から、『面接の時、この制服だったから、自分以上の自分になれたと思う、(ダークグレーのブレザースタイルだから)入社式にもこれを着ていくつもり』と言われ、感極まりじわっと涙が出てしまったことがある。これだから制服屋はやめられない。
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第1回・優秀賞「関西ユニフォーム協議会賞」
銀座のガードマン
㈱銀座
薄田 誠今から10年前、ある事件が起きました。銀座の山木戸本店に泥棒が入ったのです。犯人は店頭の作業服を大量に抱え込み逃走しようとした悪い奴でした。閉店間際の20時、看板の照明が落ちた瞬間にそれは起きたのです。しかし、犯人は逮捕された。なぜなら・・・。
たまたまそこに、Aさんという鳶職のお客様がいました。その日は友人と二人で買い物をされ、帰り際、店頭で挙動不審な犯人をみかけ「この男は怪しい」と感じたそうです。しばらく様子を見ようと車の中で待機していると案の定、盗みを始めました。逃走した瞬間に二人で飛びかかり「ボコッ!ボコッ!」「ここはオメーの来る店じゃねーんだ!俺達の店だぞ!」と押さえつけました。
犯人は二人にボコボコにされ現行犯逮捕となったのです。後から分かりましたが相当な前科を持った悪い奴でした。その晩、私はAさん達と一緒に警察署に行き事情聴取と被害届の手続きの為、深夜まで一緒にいました。何度もお礼を言うと「どーってことねーって」と照れくさそうにしていたのが印象的でした。その後、お二人には警察から勇気ある行動を称えられ感謝状が贈られました。
何より嬉しかったのはAさん達の「俺達の店だぞ」という気持ちでした。普段の仕事では意識したことがないので私には「驚き」でした。銀座で働くみなさんが、いつも心のこもった対応をしているからこそ「この出来事」が起きたのだと思います。
それからAさんは「銀座のガードマン」という愛称が付き、スタッフの人気者になりました。Aさんが来店されるのは現場帰りの19時過ぎで泥だらけの作業服姿、声を掛けるといつも「えへへへへ〜」と素朴に笑ってくれました。
{銀座のガードマン永遠に}
その事件から一年後のある日、新聞に「◯◯市の鳶職・Aさんが橋の塗装工事の足場解体作業中、信濃川に転落、いまだ行方不明」の記事をみて愕然としました。「◯◯市のAさんって、銀座のガードマン・・・」複雑な心境で信濃川へ行ったことを覚えています。その日の夕方、遺体がみつかりました。事故現場にいた方の話では「ライフジャケットは装備していたし、安全帯も単管に掛けていた。しかし足場自体が崩れて落下してしまった」本当に残念な事故だったそうです。
葬儀の会場では悲しみに堪え、毅然と振る舞う会社の社長、真っ赤な目で参列者を案内する仲間達、うつむくことしか出来ない奥様、まだ現実がわからないであろう小さい二人のお子さんがいました。みんな突然の辛い出来事を懸命に、そして冷静に受け止めようと努力しているようにみえました。私は「なんて残酷なことか・・・」と思うと共に、はじめて事故に対する本当の恐ろしさを知りました。
この業界では度々起こることで過去、何人かのお客様が、亡くなられたり、怪我をしたという話を聞いてきました。しかし、私は「聞いただけ」だったと思います。この事故から、お客様は命を張って家族や仲間を守っていることに改めて気付かされました。あの日から「私には何ができるのだろうか?」と悩み始めます。銀座は作業用品販売という業種なので、安全・安心・快適、と様々な思いが頭をよぎりましたが、何からすればよいのだろうか・・・。
現在、銀座では「ありがとうございました、お気を付けて」という挨拶が企業文化になっていますが、それはこの出来事がきっかけで朝礼での挨拶練習の一行に付け加えることになったからです。私はこの「お気を付けて」という言葉を使うたびに銀座のガードマンの素朴な笑顔が思い浮かびます。Aさんの「俺達の店だぞ」という想いを忘れることなく、これからも私達は明るく元気な声で「お気を付けて」とお客様を見送り続けていきます。ありがとう、銀座のガードマン。心からご冥福をお祈り致します。
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第2回・優秀賞「大阪府被服工業組合理事長賞」
幸せのユニフォーム
㈱銀座
渡邉 晴美『どうしても、お揃いのユニフォームで踊らせてあげたいのです』
こうおっしゃって、40代の小柄な女性のお客様がご来店されました。
10日後に行われる、よさこい踊りのイベントに間に合うようにTシャツを作りたいとのことでした。その女性はチームの指導者であり代表の方でした。
総勢28人の子供達のチーム。幼稚園から中学生のメンバー。サイズは10種類。Tシャツと名前の刺繍の色は全員違ってバラバラ。背中と胸のプリントはチームのお子さんがフリーハンドで描いたガタガタでかなりラフな図案。納期は通常ではまず無理。
…やっかいな仕事だな…と内心思いました。しかしその女性の、何とか子供達を喜ばせたい!という切実な思いを汲み取り、私はその仕事を引き受けることに致しました。
チームの名前は"オンプ♪”さん。プリントの図案は子供たちの夢がいっぱい詰まった楽しい絵で、五線譜の中にニッコリ笑った音符やお花が並んでいました。私はできる限りこのイメージをこわさぬように丁寧に図柄を整え、各加工業者さんに「どうか、お願いします! !」と大至急の依頼をし、なんとか、イベント2日前に用意することができました。
お引渡しの時に代表の女性は『無理なお願いを快く引き受けてくださり、こんなに素敵に仕上げてくださって本当にありがとうございました』と深々と頭を下げられ、『ぜひ二日後のイベントにおいでください!』と私に案内状をくださいました。
当日はピカピカの晴天、美しい青空! 大勢の観客の方が集まっていました。
さぁ! いよいよオンプさんの子供たちの登場です! みんなそれぞれが選んだお気に入りのカラーのTシャツを着て、誇らしげに、伸び伸びと元気よく踊っています! キラキラと輝く笑顔…笑顔…笑顔がいっぱいです! !
子供達の周りで嬉しそうに手をたたくお母さん達の姿もありました。
なんだか私も嬉しくなって思わず涙がこみあげてきました。涙で前が見えなくなるほどでした。
曲が終わり大きな拍手が湧き起りました。私も腕を大きく挙げ手をたたきました!
その時です! アナウンスがありました。
『この可愛いTシャツを作ってくださった方があちらにおられます! 作業服の銀座の渡邉さんです! ! おかげさまで今日は子供たちが元気いっぱいに踊ることができました! 本当にありがとうございます! !』と。
マイクを持っていたのは、あの代表の女性の方でした。
そして子供たちが私に向かって一斉に『せーの! ありがとうございました!』と元気にあいさつしてくれました。
私はビックリしたと同時に感激で再び涙があふれ、胸がいっぱいになりました。
こちらこそ子供達から元気をいただき、代表の方から温かいお言葉をいただき、本当に感謝しています。私にとって、忘れる事のできない素敵な出来事であり、あらためてこの仕事について良かったと思える一日でした。
…後にうかがった話です…
代表の女性は昔ダンサーでおられ、15年前に当時一歳だった最愛の息子さんを病気で亡くされていました。悲しみを乗り越え、踊りの指導を始め、子供達一人一人をご自分のお子さんのように愛しみ、ダンスを通してみんなが笑顔になってくれるのが彼女の願いだと知りました。
私は僅かながら、このチームのお役に立てたことを嬉しく思い、これからもユニフォーム販売の仕事を通して、人のお役に立ち、幸せになっていただける事を考え、自信と誇りをもって頑張っていこうと思います。
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第2回・優秀賞「日本ユニフォーム協議会理事長賞」
ありがとう物語
三星商事㈱
小川 秀彦大学卒業後、アパレル会社に就職し約半年経った頃のはなしです。私はユニフォーム課に配属され上司と日々お得意様(百貨店)に通いました。ある日、サンプルを独りでお届けすることになりました。お届けすると、メジャーをいつもズボンのポケットに入れておられるベテラン課長が、「ドンデンの場所は何処?」と質問されました。新入社員の私はまだ繊維の知識もなかったので、「わかりません。」とお答えし会社に戻りました。するとベテラン課長から弊社の上司に、「商品知識のない新入社員を来さすな!」と電話が入っていました。
その後、ネットのない時代でしたので田中千代の服飾事典を購入し、知らない用語がでてくると調べました。その甲斐あってか縫製仕様書をみながら商品を検品することもできるようになり、サンプルをお届けして質問をされてもある程度お答えすることができるようになりました。
それから数カ月経った頃、そのベテラン課長から、「シャツ百枚、○日までに縫われへんかな?」と言われました。もともと納期が厳しかったみたいなのですが、依頼先の会社が間際になってできないと言ってこられたとのことでした。私は会社に戻り、すぐに心当たりの京都の工場に電話をいれました。納品日まであと二~三日しかなかった気がします。
工場の社長は、「その納期は厳しいな~」と言いながらも、型紙・生地・材料を今日投入してくれたら納期当日の朝までに、徹夜してでもやってくれると言って下さいました。私はベテラン課長に縫える旨を連絡し、元の依頼先から型紙・生地等をひきとり確認すると、すぐに京都の工場にもってはしりました。納期当日、朝六時ころ工場から商品をひきとり無事に納めることができました。ベテラン課長からは、「よく間に合わしてくれたな~。本当に助かったわ。おおきに。」と。
それからは、引き合いがあれば真っ先にお声をかけて下さるようになり、金融関係・製薬会社等のユニフォームを受注させて頂きました。
その後、ベテラン課長が定年を迎えられ送別会がありました。その際、当時のことをベテラン課長に聞くと「商品知識なかったら俺も困るし、あんたも何もせえへんかったやろ。そやから上司に電話したんや。それから毎日めげずに来てくれたやろ。そやから何か一緒に仕事がしたかったんや。しかし最初にしてもらったんが納期がないやつで悪かったな~。しかしあの時は本当に助かったわ。ようやってくれた。」と。私は嬉しくて涙がこぼれそうになりました。
現在、ベテラン課長も京都の工場の社長もお亡くなりになられましたが、三十数年経った今でも繊維業界で頑張って居られるのも、亡くなられたお二方や出会った方々に恵まれたおかげだと感謝しております。
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第3回・大 賞「大阪府商工労働部商工労働部長賞」
がんばる人を応援する店
㈱銀座 山木戸本店
木沢 文子弊社は「がんばる人を応援する店」という企業理念を掲げているユニフォーム・作業用品の小売店です。「がんばる人を応援」とは、働く社員・お客様・関係する全ての方を応援したいという気持ちです。その思いに賛同する人が集まり運営をしています。
この春、山木戸本店に知的障害のある18歳のS君が入社しました。近年、弊社では、知的障害がある生徒の職場体験実習の受け入れを行っていますが、その生徒の中で「小売業で働きたい」という明確な目標を持っていたのが彼でした。彼は「言葉がすぐに出てこない、動作が慎重でゆっくり」というハンデを抱えています。しかし、研修期間中の真面目で誠実な働きが認められ、周りの社員から「彼と一緒に働きたい」と思われるようになりました。不思議なことに、彼が頑張っている姿は、みんなが温かい気持ちになると共に、私達も更に頑張ろうという気持ちにさせてくれます。
先日、S君が接客しているところをみかけました。お客様が希望する安全靴のサイズを脚立に上がり棚の上段からお出しする対応です。彼の動作は慎重で時間が掛かりましたが、お客様はじっと見守ってくれていました。本当は急いでいたかもしれません。そして、商品を受け取ったお客様は「ありがとう、ちゃんとやって凄いね!」と温かい言葉を掛けてくれました。褒められた彼はとても嬉しそうでした。それを見ていた私も嬉しくなりました。彼の頑張りによって、お客様がお店を応援してくれる、そんな素敵な「ありがとうの連鎖」が日々起きています。彼は私達が忘れている何かを教えてくれる大切な社員のひとりです。これからも、もっと働きやすい職場環境に出来るよう社員全員で考えていきたいと思います。このような取り組みによって会社が良くなっていくのは、弊社を選んで来てくれたS君のお陰だと思います。
実は私にもハンデを抱えた息子がいます。現在、中学3年生で今は普通の学校にいますが、将来を見据え就職率100%の特別支援高等学校の進学を考えています。入学説明会に行ってみると、教室から「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」と熱心に接客用語を唱和する生徒達の声が聞こえてきました。社会に出る為のトレーニングなのでしょう。普通の人でも就職が難しい時代、彼等のようなハンデがある人を採用してくれる企業に感謝いたします。そして、ハンデを持つ人への先入観を取り払い、障害の特性を理解し、能力を引き出す取り組みに手を挙げてくれる企業が、もっと増えてくれることを願っています。
しかし、現在の就職先は工場や福祉作業所、小売業では食品スーパーが主な職種で、弊社のような小売店の受け入れ企業は少ないようです。現実は、あまり選択肢が無いのです。本人には職業に対する夢や希望があります。また、経済的・精神的な自立心もあります。そして、その気持ちを応援する家族が必ず側にいることを私は知っています。
私にとって弊社で働くS君の頑張りは励みとなり、会社がこのような取り組みに真剣であることを誇りに思います。そして、私達の業界がハンデを抱えた人であっても、安心して活躍出来る環境になって欲しいと心から願います。これからも「がんばる人を応援する店」の実現に少しでも力になりたいと思っています。
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第3回・優秀賞「日本ユニフォーム協議会理事長賞」
ありがとう物語
㈱オオツキ 西宮店
竹野 真理子12月の初めに防寒ジャンパーが欲しいと来店されたお客様は、店内を見渡し「これが気に入ったから10枚用意して!』と言って指をさされました。
その商品は、当店売上ナンバーワン商品!メーカー様在庫もほとんどが完売の超人気のネイビーを凄くお気に入りでした。クリスマスに従業員へ贈りたいとのご希望。
私は先日からこの商品の注文を受けまくっていて大きなサイズの在庫が無いのを知っていました。その際にメーカー様に電話をして、何とか探してもらえないかとお願いをし、「今回が最後です。もう無いです。」と言われていたのです。
折角、気に入って頂けたのにお渡しすることが出来ないなんて、悔しい、悲しい、申し訳ない気持ちでいっぱいになった私でしたが、何とかならないかと無い知恵を絞ってみて、出した案は、お色違いにして頂く案、商品をかえて頂く案。
この案をお客様にお話すると、「カタログ見たって実際に商品を見てみないとピンとこないし、ピンときたのが、このネイビーやったからどうにかして欲しい」でした。
少しお時間を頂戴しメーカー様へ連絡を入れてみました。答えはやはり無いとのこと。それでも諦めきれない私にメーカー様は、一旦切らせて欲しいとのこと。これで終わりなのか?でも、諦めきれない。私もお客様に時間を頂きたいと伝え、一旦帰って頂くようお願いをしました。帰り際に一言「頼むわな!」。
それから4日程経った頃、メーカー様から連絡があり、「ネイビーの大きいサイズは、やっぱり無理です。サイズを下げて頂くか、色違いのクロなら何とか成るかもしれない。一度話をしてみてもらえたら」とのことでした。
私はすぐにお客様へ連絡を入れ事情を話しました。お客様には、「ネイビーは今すぐにはご用意できませんが、クロなら揃う希望の光が見えてきたのです。今回は、クロで格好良く社名をお入れしてプレゼントされませんか?」と半ば強引なアプローチ・・・
暫くお考え頂いた結果、「揃うなら、そうしてもらいます。」0と言って下さいました。
やったぁ~一歩前進!! そして私は又メーカー様へその旨を伝えました。メーカー様は「分かりました何とかします。」と心強いお言葉を残し、電話を切られました。
それから何日か経ち、商品が二回に分けて入荷され、急いでネーム入れが始まりました。出来上がってきた商品には、左胸に立派な社名が刺繍されておりました。私にお任せというご要望でお入れした社名の大きさと色。果たして気に入って頂けるか内心ドキドキです。出来上がりのご連絡をすると、その日の内にご来店頂きました。
商品を手にされたお客様は『わっ! ええやん! 格好いいわ!!』と満面の笑み。
私はお気に入りのネイビーでお渡し出来なかったので、申し訳ない気持ちでしたが、お客様の笑顔にとても救われました。
帰り際にお客様が一言「来年は、もっと早い時期に注文にくるから又頼むわな! 色々動いて貰ってありがとうなっ!! おかげで従業員達へ贈ることができます。ほんまにありがとう。」でした。
私は涙が出るくらい嬉しかったです。こんなお言葉を頂くことが出来たのも、必死に探して下さいましたメーカー様のおかげ。立て込む中、残業してまで入れて下さったであろうネーム室さんのおかげ。そして、頭を抱え込んでるだけの私を傍で見守って応援して下さったスタッフのおかげです。
私の方がお礼を言わないといけないのに、皆様に優しいお言葉やお礼を言って頂きました。改めて私って幸せだなぁ~と感じました。携わって頂いた皆様、本当にありがとうございました。
来年、否、今年は私から早めのアプローチをして一番気に入った服を買って頂きます。その時もネームはお任せして頂こうかな!今からとても楽しみです。
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第3回・優秀賞「大阪府被服工業組合理事長賞」
ありがとう物語
YKK㈱
石田 真一先日、ある商社様よりファスナーのご注文を頂きました。内容を確認してみると、上止め(ファスナー上端にある留め具)を無くした仕様で納品するよう指示がございました。
私は、「留め具なしの仕様で大丈夫だろうか?」と疑問に思いました。以前、ほかのお客様で、留め具なしの仕様で製品を作られた際、ファスナー上端と表生地の間に隙間が出来ており、スライダー(引手部分)を勢いよく引き上げた時、スライダーが隙間に挟まり、動かなくなり、クレームが発生した事例を思い出したからです。
そこで、お客様に製品見本を見せて頂けないかお願いし確認したところ、やはりファスナ―上端と生地の間に若干の隙間が見られました。私は、お客様に対し、過去のトラブル事例の説明を行い、ファスナーを留め具ありの仕様に変更する、もしくは工場に縫製の指導を行うといった対応策を行うように奨めさせて頂きました。
さて私達は、ファスナー、裏地、釦といった服飾資材をユニフォームの付属品としてお使い頂いております。もっとも、お客様の目線はどうしても完成品にだけ向かいがちです。
しかし、私は自分たちの扱う一つの付属品には大きな役割があると思います。ある付属品にどんな小さな不具合でも起こると、製品自体の価値がなくなってしまうぐらいに思うのです。
たとえば自動車にとってのタイヤのようなものと考えてしまいます。タイヤの空気圧が低くすぎたり、摩耗が激しかったとしたら、その時は自動車を思うように運転できないでしょう。また雪道・山道での走行を左右するのはタイヤの選択だったりします。
ユニフォームにおける付属品も同じで、付属品の不良(例えばファスナーの摺動不良)があれば製品として意味を成しませんし、作業環境に適した付属品を使用しなければ、ユニフォームとしての機能を果たさない事もあります。
私達の立場は付属品を扱っている会社であり、製品を支えているひとつの部材を提供するだけかもしれません。しかし、自分の仕事一つで、製品を良くすることも悪くすることもあるのだという意識を持って仕事をしなくてはならないと思っています。
ところで、さきほどのお客様からですが、やがて「工場から言われるがままファスナーを手配していた。製品見本もしっかり確認できていなかった。未然にトラブルを防いでくれてありがとう。」と感謝のお言葉を頂くことが出来ました。
その言葉に感激しつつ、今後も付属品のプロフェッショナルとしてたくさんの〝ありがとう〟に出会えるような営業・ご提案を進めていきたいと思っています。
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第4回・大 賞「大阪府商工労働部商工労働部長賞」
ありがとね
㈱サーヴォ
平山 航「ですが、御社に今回はお願いします。」
私は相手の話している意味がよく分からず、相手をじっと見つめていました。
当時、私は当社の若手営業マンの1人として、東京都内の新規・既存のお客様に向けて日々営業活動を行っていました。商材については旧㈱イストの得意としたオフィス・サービス全般問わず、ある時は他社メーカー様のお力も借りながら、売上目標を達成すべく、あくせく働いていたように思います。
そんなある日、私の担当する既存のお客様から、「他部署でユニフォーム検討があるので、紹介したい」と申し出を頂きました。なんと有り難い話、ということで早速お話を伺うことに。聞けば、企画自体がうまくいけば全国規模に広がる話で、着用想定人数は1、500名、と当時の私にとっては超ビッグなお話です。しかしながら競合相手は2社、しかも誰でも一度は聞いたことのある、大きな会社様が相手と聞き一瞬たじろぎつつも、気を取り直し、絶対受注してやるという熱い気持ちでこの物件に取り組みました。
早速話を社内に持ち帰り、先輩・上司や企画メンバーに相談、その間にも週に一度は必ずお客様へ訪問し、何かヒントは無いか、アピール出来ることは無いか、と鬼気迫る営業(多少迷惑気味に)を展開。デザイナーとも試行錯誤しながら、内容を詰め、デザインプレゼンが終了。感触はなかなか良かったのです。ほっと一息つきながら、あとは投票結果待ちとなりました。
1週間か2週間後に連絡が入り、いよいよ結果発表となりました。元来、ポジティブ思考な私ですので気楽に訪問したところ、神妙な面持ちの先方担当者とその上席…即座に空気を読み、肩に力を入れて商談に臨みました。
「今回は、ご提案ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました!」
「平山さんはよくこちらにも来てくださって、色々教えて頂き勉強になりました」
「い、いや滅相もないです。全力で頑張らせて頂きました。」
「ありがとうございます。早速結果なのですが…」
担当者の懐から投票ボードのようなものが飛び出し、各社のデザイン案に投票数が記載されていました。
結果は、2位。1位と大差ではないものの、明らかに当社の得票数が少ないのです。入室した時から感じていた不穏な空気、また上席の方が話され、担当者は一切口を開かない…と、この状況から何となく分かっていたものの、やはり絶望的な気持ちが押し寄せ、眼の前は真っ暗になりました。
「結果はご覧の通りです。投票数は、〇社様が一番となりました。」
「…」
「ですが、御社に今回はお願いします。」
私は相手の話している意味がよく分からず、相手をじっと見つめていました。
(?どういうこと??)
「勿論、デザイン投票が大事だったのですが、一番、一生懸命にやってくれる会社様にお願いしたいと当初から考えていました。既にお世話になっている他部署からの話も聞き、今回は御社にお願いする運びとなりました。」
「あ、ありがとうございます!」
「これからも色々ご面倒お掛けすると思いますが宜しくお願いしますね」
「こちらこそお願いします!!」
急転直下、業者決定、ということで、受注が決まった次第です。嬉しかったのですが、思わせぶりな演出のせいで終始引き攣った顔をしていたように記憶しています。兎にも角にも受注が決まり、歓喜の帰路となった訳です。しかし、この文章をお読みになられている皆様もご経験がお有りと思いますが、これからが大変でした。
提案が進行するにつれて問題が起きていきます。度重なる型の修正、納期が間に合わない、見積もりが合わない、などといったことが起き、まるで腹の中に熱した鉛が入っているかのような思いをお蔭様で味わうことが出来ました。まだ若かった当時の私は何度もつらい、逃げたい、と思い、こんな事なら受注しなければ良かった、などと考えるほどでした。
そんな中、ようやく納品が終わり、着用が始まりました。担当者とはその当時ピリピリとした緊張感があり(本当に色々ありました…)電話が鳴るたびにビクビクしておりましたが、その日もまた私宛に連絡があり、至急来てほしい、とのことです。
刺繍糸の色が指示と間違っているとのことでした。おそらく全量ともそのようになっており、回収も難しい…二度目の視界ブラックアウトです。どうしたら良いのだろうか。途方に暮れました。
しかし結果的にはお互いの認識ずれと、双方の確認不足が原因ということで大事には至らず、全量リコールのような話にはなりませんでした。やれやれ、といった話でしたが、私は疲れきっていました。
その後、この商談の帰り際に担当者から、「色々あったけど、実は新しいユニフォーム、すごく好評。着ている子達もすごく喜んで着てくれていて、私としても嬉しい。ほんとに、ありがとね」と一言頂きました。とても、救われました。
本当に辛い、悔しいと思う経験でしたが、この時の「ありがとね」は今でも心に残っています。きっと暗い顔の若造を元気付けてやろうとのお気遣いだったのだと、いまでは思いますが、当時はこんな自分でも人の役に立てたのだという気持ちになれたのです。自分が携わったユニフォームが人に喜んでもらえているという実感があまりにも無かった為、衝撃でした。社会を良くする為に働いているんだ、という当たり前ですが、忘れがちなことに気づかされた瞬間だったと思います。
今も私は営業という職務を続けています。立場は当時と替わったものの、諸先輩方や次々と私を追い抜こう(抜いた?)とする後輩達とともに切磋琢磨、営業活動に邁進しております。
もちろん、ボーナスUP、出世、など会社人としての目標・モチベーションは人並みに持ち合わせてはいます。ですが、根本にあるのは「ひとの役に立つ」ということだと私は思っています。その成果として「ありがとう」という言葉が支払われ、その積み重ねでモチベーションを保つこと(気持ちよくビールが飲める!)ができていると思います。
「ありがとう」という言葉は、営業マンのみならず、すべての働く人にとっての醍醐味だと思います。ありがとうの積み重ねが、これからもきっと私を変えて、給料アップの夢もかなえるだろうと、何となく社是を呟きながら、締めくくりとさせて頂きます。
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第4回・優秀賞「日本ユニフォーム協議会理事長賞」
六十歳の新入社員
㈱銀座 山木戸本店
濱野 千恵子当社の販売員として採用していただいてからまもなく一年が経とうとしています。入社のきっかけは、新聞折り込みの「シニア(40歳~)の女性の為の面接会」と書かれた求人広告でした。すでに長年務めた会社を定年退職し、六十歳の私は『図々しいな…』と思いながらも、え~い、ダメ元!と採用面接に応募しました。ありのままの自分をさらけ出し、持ち前の明るさと元気で面接に望みました。年齢を考えたら絶対無理だと解っていたので、話ができただけでも有り難いと思い帰宅したところ… なんと、なんと!「ぜひ当社に来てください!!」と合格の電話をいただいたのです。本当に嬉しく天に舞い上がるような気持ちでした。この日、私は、銀座の新入社員として謙虚な気持ちでゼロからスタートしようと強く心に決めました。
会社では、私よりずっと若い方々の中で働き、店内での販売業務と企業様への営業が自分の仕事です。この年齢で新しい仕事を覚えるのは大変ではありますが、思いがけない出会いや発見もあり、ドキドキワクワク楽しく仕事をしています。
入社3か月目の出来事です。仕事着一式を彼にプレゼントしたい、という若い女性のお客様の応対をしました。その方は「もし、サイズが合わなかったら、交換していただけますか?」とおっしゃいました。私は懸命に覚えた会社のマニュアル通り、期間以内に、タグを外さない状態で、レシートが必要な事をお伝えし、最後に「何かあったら濱野までどうぞ」と名刺をお渡ししました。
二日後、そのお客様は彼と一緒にご来店され、ズボンのサイズ交換を依頼されました。 「彼は色をとても気に入ってくれて…でも太っちゃったのね…」。この微笑ましいお客様のつぶやきに、私は「よくいらしてくれました」と申し上げたところ「だって、濱野さんが交換大丈夫ですって言ってくれたから…」とニッコリ笑顔でおっしゃいました。
60歳のおばちゃん販売員を頼って再度ご来店された、この若いお客様に感激し、益々やる気が湧いてきました。お客様との絶対的な信頼関係を築くことで、より充実した販売ができるのだと、改めて学びました。それには商品知識、応用力、接客ノウハウなど、身に着けなければならないことがまだまだ沢山あります。私のような見た目、大ベテラン、実は新入社員にとって、毎日が勉強の日々です。
こんな私を銀座の仲間達はとても優しく指導してくださいます。この歳になって、こんなに素晴らしい環境で仕事ができ、充実した毎日を送り、本当に幸せだと思います。
今年95歳になった母に「あんた、銀座さんに入社してから、いい顔になったね。良い会社に入ったね。」と言われました。今、私は人に望まれる幸せ、人のお役に立てる喜びを実感しています。採用してくださった会社に、支えてくれるスタッフの皆さんに、そしてお客様に深く感謝いたします。
これからはちょっと太めの〝銀座のおばちゃん〟の存在で、周りの方々に元気と勇気をあげられるようもっともっと頑張ります! 新入社員、濱野、60歳! 今日も笑顔で行ってきます!
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第4回・優秀賞「大阪府被服工業組合理事長賞」
ユニフォームの力
三天被服
東谷 麗子昨年のことですが、以前から商工会議所でお知り合いのSさんから、「作業服を作りたいと考えていて、一度、相談に乗ってもらえませんか?」と、お声をかけていただきました。
Sさんの会社は、物流機器の製造工場なので、もちろん社員の皆さんも作業服を着てお仕事をされています。30名ほどの小さな町工場ですが、昭和33年におじいさんが創業された歴史ある会社です。現在は、Sさんのお父さんが2代目社長として後継され、Sさんは常務取締役というお立場で仕事をされています。
現状の作業服は、社員さんがそれぞれ個人的に作業服を買いに行き、皆さんバラバラの作業服を着てお仕事をされていました。リーマンショック後、少しずつ回復しているとはいえ、まだまだ厳しい経営環境の中、後継者としてSさんは、「このままではダメだ!何か変えていかないと!」との思いを持っておられました。
その一つのきっかけとして、「皆で揃った作業服を着て、意識を統一していきたい」と思われたそうです。それは、以前に私が「服は人の意識に働きかける力があり、ユニフォームにはチーム力を上げる力がある」という話しを何かの時にしていて、嬉しいことに、それを覚えていただいていたのでした。
「皆で揃いの作業服を着て、全社一体の意識に繋げていきたい!」と強い思いを持っておられました。
作業服を統一することへの一番の問題点は、お父さんである社長でした。「別に今のままでいいじゃないか」「揃えるとなると、経費もかかる」と、Sさんの提案に対して否定的な意見でした。私から社長さんへ作業服の説明をさせてもらっても営業にしかきこえないだろうと思い、Sさんに更にユニフォームの力、効果の説明をさせていただき、それをSさんから社長さんへ伝えていただきました。そんなSさんの一生懸命な姿勢に「じゃ、サンプルだけでも一度見せてもらったらいい」と言っていただけました。
そこで、私はSさんへ「Sさん一人で、作業服の話しを進めていくのではなく、社員さんも巻き込んで、一緒になって進めていってください」と提案しました。
Sさんは、作業服に対して期待されているので、数々の要望がありました。それを、何回もヒアリングさせていただき、こちらから厳選して商品を選定し、サンプルをご提示しました。その時には、必ず社員さんの代表の方3名に一緒に見ていただき、商品説明し、一緒に選んでいただきました。社長さんは、サンプルを直接見に来られることはありませんでしたが、Sさんと社員さんが作業服を選んでいる姿を見ていてくださいました。社員さんと一緒に選んだ作業服を、社長さんもOKを出してくださり、商品が決まりました。そして、作業服に初代のおじいさんが作られたヒマワリのロゴを刺繍で入れることになりました。Sさんには、会社のロゴへの思いも強く、ヒマワリの黄色を決めるのに、何回も試し打ちをして見ていただき、ようやく色が決まりました。
何度も何度も足を運び出来上がった作業服をお届けした時のSさんの嬉しそうな笑顔は、今でも私の元気の源になっています。
その後のSさんは、商工会議所の会合などには、いつもヒマワリのロゴ入り作業服を着て参加され、「この作業服、むっちゃええですわ。三天被服さんで作ってもらいました」と宣伝してくださっています (笑)。
「工場へ来られるお客様からの評判も上々で、社員さんたちの動きも変わってきました」と嬉しいご報告もいただいています。
『ユニフォームには力がある』ということを、Sさんを通じて改めて感じさせていただきました。これからも、もっともっと周りの方々へ『ユニフォームの力』を発信していきたいと思います!
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第5回・大 賞「大阪府知事賞」
ユニフォームを纏う
㈱チヨダ
内山 祐介「ありがとうございました。また宜しくお願いします。」
皆さんは今までに、この感謝の言葉をどれ位お客様に頂いて来られたでしょうか? 私は一年程前まで一般のアパレル業界にいた事もあり、決して抜きん出て多い方ではないにしろ、おそらくではありますが、幸せな事に一万回以上は頂いてきた言葉だと思います。あくまで個人のお客様から頂いた感謝のお言葉なので、比べる事はできませんが、もちろん中には忘れられないお客様もいらっしゃいましたし、思い出深いエピソードもありました。そしてこのユニフォーム業界に入り一年。多くのありがとうの中でも、とても印象深いありがとうの言葉を頂いた事がありました。それは私が広い意味で衣を扱うアパレルの中でも一般のアパレルとユニフォームの大きな違いを知り、更にはユニフォーム業界の面白さに気付かされたキッカケでもありました。それを此処で少しお伝え出来ればと思います。
あの日の事は忘れもしません。入社して三ヶ月程経った頃でしょうか、新規のお客様からのお問い合わせを任され、いつもの様にカタログを片手にお客様の元へ足を運びました。
今回はどんなお客様だろうかと勇み足でお客様の元へ向かう道中で思った事を覚えています。実はお客様のお名前を初めて聞いた時に、何と無くは分かっていたのですが、いざ訪ねてみると右を見ても左を見ても外国の方ばかり。そうです今回任されたのは外国の企業だったのです。入社三ヶ月の私は一瞬ギョッとしましたが、だからといってその時は極端に不安になったりはしませんでした。なぜなら、それまでも前職で外国の方を接客した事は沢山ありますし、もちろん打ち合わせを行うのは日本人のご担当者様でしたから、正直上手く行くだろうと高をくくっていました。
ところが、いざ打ち合わせが始まると戸惑う事ばかり。日本のお客様との違いを痛烈に感じる事となるのです。まず決定的に自己主張の違いです。一概に全てとは言いませんが、日本の企業とは違い強烈な個性や、ストレートに飛んで来る意見にまず商品が決まりません。ユニフォームは一般的に通常全従業員が着用するアイテムなので、相対的に多数決に落ち着く事が多い様に感じます。ところが個人の意見が次から次に上がって来るため、商品選定ができません。それでも、何度も打ち合わせを重ね、どうにか個人毎に異なるデザインで決定する事にまとまりました。どうにか全員分のデザインが決まり、いざサイズを決めようとすると次の難関が訪れました。事前に自己申告でサイズを伺っていたのですが、日本規格のサイズでは入らない方ばかり。大きい人が多いのは分かっていたのですが、不覚にも忘れていた事がひとつ。忘れていた私が完全に悪いのですが、自己申告のサイズがサンプルと全く合いません。皆さんはそんな簡単な事を忘れないと思うのですが、なんせその時私は入社三ヶ月ですから、国籍によってサイズ規格が違う事を此処で思い出したのです。そのおかげもあって、
「日本人は小さいわね。」
と目の前で閉まらないボタンをジョーク混じりで見せられる事もしばしば。苦笑いでその場を脱しましたが、結局サイズが入らない方は特注や、デザイン変更等で対応する事になりました。
ここまでも通常よりも長い期間を経ていましたが、どうにかユニフォームの決定もいよいよ大詰めを迎えて加工の打ち合わせに入る所まで来ました。ここで私は「ユニフォームを纏う」と言う事の一般アパレルとの決定的な違いに気付かされる事になりました。
いざ加工の打ち合わせに入ると、加工を施す際に発生する金額に折り合いが着かず、デザイン決定が難航しました。この企業はユニフォームの背中部分にかなり大きめなロゴと会社名の刺繍が入るのですが、海外と日本では加工金額にかなり違いがある様で、なかなか納得するデザインを指定のサイズで施す事に至りません。そこである日私が実際にサンプルを作成し、一言ご提案したのが、日本の刺繍技術はとても高度で細かいデザインも繊細に表現出来るので、海外に比べると金額はやや上がってしまいますので、刺繍のサイズを落として入れて見てはどうでしょうか? と言った内容でした。それは本当に心から格好良い加工が綺麗に行えるならとお客様の事を考えての一言でした。しかし、後日思わぬ言葉が返って来ました。
「私たちは単に会社から支給されたユニフォームを全員纏っている訳ではありません。会社名が大きく施されたユニフォームを着て仕事をする事で会社のおおきなプライドをも背負って働いているのです。」
今でもあの時の提案が、お客様の為のご提案だったのは間違いないですし、金額が合わなければサイズを落とす、生地を変えると言った事が間違った提案をしてしまったとは思っていません。しかし考えて見ると、一部例外もありますが、その多くが常に既製品のみを販売していた一般のアパレルと同じ様に納得の行く妥協を提案していなかったかと大いに考えさせられました。その大部分で自分が納得し、自分の為に着る洋服とは違い、安全面等、様々な要素はありますが、一つの目標に向かっている自分と自分の仲間が同じモノを着用し、それに大きく社名が描かれている。それは外から見れば間違いなく共通の名刺となるでしょう。自分の属する会社に誇りを持つ、そしてそれを守る。ユニフォームを纏うと言う行為にはそれすらも含まれている事を気付かされました。それから私は、どうにか先方の要望に答えるべく、前面にも施される加工の方法を変えたり、メーカーに協力をお願いしたりしながら、どうにか先方の納得のいく形で商品決定まで繋げる事が出来ました。
そして予定よりもかなりの期間を要しましたが、ご依頼頂いたユニフォーム作成も無事終了し、いよいよ納品の日を迎えました。商品をお持ちし、検品を行っていると、ご担当者とは別に数人が商品を確認しに来られました。そして検品が終わるとすぐに私がいる前でユニフォームを羽おり、互いにチェックしては英語で、褒めて頂いているのが分かりました。すると奥からひと際大きい従業員の方が出て来て上着を着ると私に手を差し出し片言ではありましたが、
「アリガトウ ゴザイマス」と一言述べると英語で何やら喋りかけられました。後に担当者の方が訳してくれましたが、「色々と努力をしてくれて有り難う。おかげで今までで一番良いユニフォームを着て仕事が出来るよ」と言った内容との事でした。私は幾度となく頂いて来たありがとうの中でも、この片言のアリガトウに非常に感激し、苦労した分、期待に応える、期待値を超える事が出来て良かったと心から思いました。
私自身、営業とは期待値を超える事に使命がある事に改めて気付かされましたし、冒頭でも述べた様に、ユニフォーム業界の面白さを知る事が出来たと感じます。時に企業の名刺となり、時に働く人のモチベーションすらも向上させる。ユニフォームには衣を通じて働く人の日々に活力を与える。そんな力を我々は多くに人に知ってもらう為に営業をしているのだと思わされました。
最後に、ここでお話させて頂きました企業様は、日本法人はあるものの、日本に常駐する事はなく、しばらく日本にいて、仕事が終わるとまた本国へ戻る事を繰り返している企業なので、私がご提案させて頂いたユニフォームは今もどこか海外で着用されている訳です。日本企業のユフォームが海外でカッコいいと言われ、「日本はユニフォームも凄い」と評判になっている事を想像しながら今日もユニフォームの素晴らしさを伝える為に奔走します。
我々営業は栄える業と書いて栄業とも言えるかもしれません。
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第5回・優秀賞「日本ユニフォーム協議会理事長賞」
子供達からのありがとう
㈱ダイイチ 営業3課2G
柴田 雄基私がお客様からいただいた一番嬉しかった「ありがとう」を紹介します。
営業活動を終え、いつものように会社へ戻った私の机に一通の封筒が置いてありました。差出人は既存顧客の障害者福祉施設からのものでした。中を開けてみると、A4サイズの紙が二枚。一枚目を読むと丁寧な挨拶に添えて、施設のイベントに協賛品を出してほしいという内容が書かれていました。二枚目は施設の広報誌でそこには去年開催されたイベントの写真が掲載されており、障害を持った子供たちが楽しそうに笑っている姿が写し出されていました。それを見た私は、是非この子供たちの笑顔の為にできることをしたいと思いました。
悩んだのは何を贈るかです。以前別のお客様から同様の依頼を受けた際は、若い方が多い職場ということもありキャンプ用品を協賛しました。最初は今回も同じようなものでいいだろうと軽く考えていました。しかしカタログを見るうちキャンプ用品を貰って子どもたちは喜ぶのだろうかと思うようになりました。様々なカタログを見ながら、ああでもないこうでもないと悩んでいるうち何も決まらないまま時間だけが過ぎていき、一週間ほど経ったころ、悩んでいる私の脳裏に以前先輩からお客様に提案する商品をいつまでも悩んでいる私にかけてくれた言葉が脳裏をよぎりました。
お客様はどんな職種で、どんな仕事をしていて、どんなことに困っているのか。まずはお客様のことを知らなくちゃお客様の望むものは提案できない。
私はハッとしました。いつの間にか仕事とは別のように考えてしまい、一番大事なお客様のことを知るということを忘れていたことに気づきました。
その日からお客様に関することを調べ始めました。普段そこで働いている職員のことは知っていても、そこにいる子どもたちはどんなことをしているのか全く知らなかったからです。HPを見ると、地域のお手伝いとしてお店で商品を陳列したり、商品を届けたりしている姿がありました。そこで着ている服はいずれも私服で中には作業で汚れているものを着ている子もいました。その姿を見て私は、この子どもたちが着用できるユニフォームを贈ろうと決めました。
その時、丁度社内でモデルチェンジによりお客様に売れなくなってしまったシャツが在庫になっているという話を耳にし、上司にそれを協賛品として提供したいと相談したところ快く許可してくださいました。シャツは二十数枚にも及び、サイズも子どもたちが着るのにちょうどよい小さいサイズのものでこれならばきっと喜んでくださると確信しました。
早速シャツを施設に届けにいくと、大きな段ボールを持った私に担当の方も驚き、中を見て「こんなにたくさんいただいてしまっていいんですか」と目を丸くしていらっしゃいました。
施設で行っている活動でも役立ててほしいという思いを伝えると担当の方からそこまで考えていただいてありがとうございます。というお言葉をいただきました。よく話を聞いてみると、やはり活動先で服が汚れることも多く困っている。保護者の方も襟付きのきちんとしたシャツを着せてもすぐに汚れてしまうためなかなか着させられないそうです。普段着られない服を着たらきっと子どもたちも喜びますよと笑顔でおっしゃってくださいました。社に戻った後も、施設長からお電話で「本当にありがとうございます」とお礼のお言葉をいただきました。
後日、わざわざお電話をいただいたお礼に施設に訪問すると施設長とともに贈ったシャツを着た子どもたちが数人で迎えてくださり、子どもたちが笑顔で「ありがとうございます」と言ったのに対し「こちらこそありがとうございます」と応え笑いあいました。
この子どもたちの笑顔とありがとうございますという言葉は、今までの営業活動の中でいただいたどんな言葉よりもうれしい「ありがとう」でした。
この事から私は、お客様のことを知るということの大切さを改めて学びました。自分の想像や先入観だけでお客様のことを考えず、現実はどうなのか現場はどうなっているのかを知ることでよりお客様に喜んでいただける提案ができる。その提案から生まれるお客様のありがとうが、何よりも嬉しい報酬なのだと気づきました。次回発行される広報誌に自分が贈ったシャツを着た子どもたちが笑顔で写っているのを見ることが今からとても楽しみです。
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第5回・優秀賞「大阪府被服工業組合理事長賞」
その先に
アイトス㈱
二村 元晴私がこのユニフォーム業界で仕事を初めて三年が過ぎた頃の話です。都内近郊の既存取引先への営業として経験を積んだ私は、初めて地方都市の担当を任せられることになりました。仕事にも慣れ、少しずつではありますが自信も付きはじめた頃です。
都内の営業活動とは違い毎週訪問出来る環境ではない為、一回の訪問に対しいかに内容が濃いものに出来るか常に考え、不安やプレッシャーを感じながらのスタートでした。
それから半年程たったある日のこと。得意先社長より言われた一言です。
「君は自分が販売した商品がどのように決まりどんなお客様に使用して頂いているか見たことがあるか?」
日々頂いている注文に対し最終のお客様の名前まではっきりと分かっている先はよくて1割程度、大口のお客様についてはそれなりに把握し同行などさせて頂いたことはありましたが、前掛や白衣を数枚購入して頂けるようなお客様までは正直把握出来ていないのが現状でした。はっきりとした返答が出来ないでいた時です。
「ユーザーへとにかく足を運んできなさい」
その後、滞在中の二日間で納品があるお客様の納品書と商品、合わせてその納品先付近にある既存ユーザーのリストを手渡されました。リストの先にあるユーザーは個人商店のような小さなお客様ばかり。仮に新規で新しいものを購入頂いたところでたかが知れた金額。どうせ訪問するならもっと大手企業へ売り込みたい。この滞在時間を無駄にしてしまうという気持ちが頭をよぎります。
私は頂いたリストを手に戸惑いながらも指定された納品先に納品、残りの限られた時間で出来るだけ多くの既存ユーザーへ訪問。以後の出張でもこのような活動をしばらく継続して行うようになりました。私はこのユーザー訪問を繰り返し行う中で今まで自身の中にあったメーカー営業としての価値観が大きく変化していったように思います。
一番大きく変わったこと、それは欠品対応に関すること。この訪問活動の中で一番苦労し時間を取られたことです。先週頼んだ物がまだ入らない。一か月経ってもまだ入らない。最悪の場合は注文したものが来ないから違うところで購入した。このような場面に何度となく遭遇しました。新規の注文を取るどころか、既存のお客様を満足させることすら出来ていない。メーカーから流される欠品連絡のFAX、たかが1枚不足の連絡かもしれません。ただその先でどんな事がおこり、どんな苦労があるのか。一件のお客様をフォロー、いかに長くお付き合い頂くことが大変なことか。その難しさや細かなフォロー営業についての苦労、身を持って経験しました。
メーカー営業は納入会社様とは違い全てのお客様の顔が見えている訳ではありません。だからこそ、その一つ一つの先にあることをよく考え大切にしなくてはならないのです。
当時の私は大きな勘違いをしていたと思います。日々頂いている売上に関してその中身を分かったつもりでいました。定期的に追加注文を頂けるお客様、新規でご採用頂けるお客様、その全てに関して私自身が関われていることはほんの一部にすぎないのです。
だからこそ、その関わりを持つことの出来る一つ一つの機会を大切に、大事に誠意を持って対応しなくてはならないと感じました。
この当たり前のような大切な事に気づかせて頂いたこの営業活動について、今振り返ってみた時、営業としても大きな分岐点であったと思います。当時営業として未熟で目先のことばかりに執着していた私に実際の現場を数多く訪問する機会を作って頂いた社長に対し大変感謝をしております。
ユニフォームの販売は他の一般アパレル商材とは違い、同じ商品の繰り返し購入がある非常にありがたい業種です。だからこそ一人一人のお客様とのつながりも非常に深くなる事が出来るし営業職としてはとてもやりがいのある仕事です。
当時から10年以上経った今でも営業活動を通じて知り合ったお客様から電話を頂くことがあります。直接代理店様へ注文すれば済む話ですが、気にかけて下さるお客様もいらっしゃいます。うれしい限りです。訪問するきっかけをたどれば若かりし日のほろ苦い思い出でもありますが私にとって大切なお客様。例えそれが前掛け1枚購入のお客様だとしても…。
何か壁にぶち当たるといつも思い出す、これが私の営業活動の原点です。お客様に喜んで頂くため、今後もこの信念を曲げることなく行動していきたいと考えています。
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第6回・大 賞「大阪府知事賞」
ありがとう物語
キンパラ株式会社 スクール事業部
大津 勝博特別支援学校。この言葉から皆さんどういうイメージが広がるでしょうか。
以前は養護学校との名称でした。それが養護学校、盲学校、聾学校を含めて特別支援学校に名称統一されました。ただ、違和感は残る名称だと感じていました。
さて、私が担当したのは、新設の特別支援学校でした。その地域の既存特別支援学校の生徒数が増え、隣接した市に新設されることになり、制服の企画から関わらせていただきました。
冒頭の、特別支援学校とは言葉の通り、「特別」に「支援」されなければいけない生徒さんばかりなのか。これが気になって既存の特別支援学校にヒアリングに行きました。校内も見学しました。通学、帰宅時も訪問させていただきました。すると、生徒さんの障害は千差万別でした。車椅子の生徒さん以外は自立のため駅から歩き、もしくは自宅から自転車でという生徒さんが多くいました。また、保護者の方がみな明るく、障害のある我が子と一緒に、お互いの成長を楽しんでいる感じが伝わってきました。保護者どうしの連携や情報交換も取れているようでした。
次に私がしたのは、駅から新設校までの通学路を歩き、その道のりの雰囲気、施設、店舗、道路の幅、車の通りなど地図にしてみました。以前、市立病院があった土地に建設される学校だったので、市の中心を通っての道のりでした。この道を通う生徒さんを多くの市民の方に守ってもらいたい、守りたくなる新制服提案をしようと決めました。
制服提案のポイントは3つ。1つ目は生徒さんが気をつけなくてもきれいに着用できる工夫をしました。ジャケットの腰ポケットのフラップを廃止しました。胸ポケットと同じデザインのポケット口にしました。こうすることでフラップが出たり出てなかったり、また、ポケットに挟まって見苦しくなることをなくしました。また。袖口のボタンを無くしました。通常ブレザータイプだと2~3個の金ボタンが付きますが、無くしたり左右でボタン数が違ったりすることを避けました。見た目はすごく大事です。通学している生徒さんの見た目のコンタクトだけで第一印象が決まってしまいます。
2つ目は愛される色味。スカートをグレー基調にピンクのチェックを入れました。もうひとつは紺基調にオレンジのチェックにしました。どちらも近隣の学校で採用はなく、一目で特別支援学校の生徒さんと分かるようにしました。特別支援学校の生徒さんと分かることで、何かあったときには協力してくれる市民の方を増やそうと考えました。また、柔らかい色調にすることで、市街地にも溶け込める印象にしました。
最後は生徒さんが着用しやすい、先生も指導しやすい提案にしました。先に出た袖ボタンなしは授業時に机でカンカン音を出さない工夫になりました。また、ボタンがないので、袖の長さ調節もスムーズに出来るようになりました。特別支援学校の生徒さんの中には、食欲を自分で管理できない方もいます。ズボンとスカートには腹部のゆとり調節できるようにアジャスターをつけることにしました。食事をこぼしたりしても清潔に保てるように丸洗い可能素材にし、少しの汚れなら付きにくい撥水、撥油加工も施しました。
さてこの新設特別支援学校の提案、3社コンペの結果、無事採用される運びとなりました。私が初めて企画から携わって獲得した学校になりました。先生からは「生徒を第一に考えてもらえたありがたい制服でした。」とお褒めの言葉をいただけました。
そしてついに開校し1期生の採寸会。保護者は説明会で制服デザインを知っていましたが、採寸をする我が子を見て涙を流す方もいらっしゃいました。「まさか制服を着用できるまで生きられるとは。こんな素敵な制服をありがとうございます。」と保護者から感謝の言葉もいただきました。保護者だけでなく、生徒さんの祖父母も同行する方もいて、笑顔の採寸会になりました。一般高校の採寸会と違い、特別支援学校の採寸会は、より、節目として価値があるものだと感じました。制服が皆を笑顔にし、ありがとうと言われる。こんな制服を今後も提供していこうと私は思っています。
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第6回・優秀賞「大阪府被服工業組合理事長賞」
絆とブランド力が創造できる制服
㈱ダイイチ
星 哲雄約20年前、私はあるドラックストアチェーンの制服リニュアルに携わりました。そのドラックストアは、東海地方に店舗展開のある会社と、神奈川中心に多店舗展開している会社が合併により新会社を立ち上げるという事で、制服も一新するという事でした。提案に当たっては、数十店舗を廻りヒアリングを行い、代表者のご意見を伺いながら、打合せを重ね、デザインを作り上げていきました。最後に残った課題が、ユニフォームの「色」でした。デザインが薬局らしいケーシースタイルだったので、「白」か「会社のカラー」のどちらにするか、ご担当の方も決めかねていました。結局、社長に決めてもらおうという事になり、ご担当と一緒に社長室へ伺い、今までの経緯をご説明し、色をどちらかに決めてもらおうとした時に、社長はサンプルを2着、机に並べ、「どちらも決められないから2つ合わせてしまえば良いのでは」とおっしゃいました。私はとっさに2つのサンプルを重ね、見頃をツートンカラーになる様に合わせてみました。「こんな感じですか?」すると、社長は「そうそう、こんな感じでどうだろう」その一言が決め手になり、当時にしては斬新な、ツートンカラーの白衣が正式に採用となりました。
新会社設立記念式典の際、私もお声掛けいただき出席していた時、社長が壇上に上がり、御挨拶されている中で、新ユニフォームの話になりました。
「制服を一新します。ツートンカラーの素晴らしいものです。2つの会社(カラー)が互いに助け合い、寄り添いながら、大きくなるために、そして従業員とお客様がより近く、深い絆が生まれる様に2色にしました。制服作成に当たって大変なご尽力を頂いた株式会社ダイイチさんに感謝を申し上げます」
この言葉を聞いた時、私はこのユニフォームに「魂」が入った感じがして、鳥肌が立ちました。
ユニフォームには、込められた「思い」や「意味」があり、それを理解して着用する事は、とても重要な事だという事を改めて勉強させていただき、「こちらこそ、ありがとうございました」という感じです。
そのドラッグストアは現在でも成長を続け、資本形態や業務形態は変わったものの、ユニフォームのデザインは約20年間変わっていません。長年同じ制服を着用し、地域密着型でお客様と接する事で、どんな薬が効くか教えてもらえる」というような「信頼感」や前に使っていた物と同じものを教えてくれるという「安心感」そして、「一目でわかる店員さん」まさに、「ブランド力」も勝ち取った「ユニフォームの力」に驚かされます。加えて、この様なすばらしい「力」がある事を、若い営業員たちにも継承していきたいと考えます。
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第6回・優秀賞「日本ユニフォーム協議会理事長賞」
忘れられない笑顔
㈱ショップたまゆら 外環石切店
前田 尚宏あれは歩いているだけで汗ばむ陽気の夏の出来事でした。
朝から一人で勤務していると、入り口のドアが開いて、かなり年季の入った作業服を着た老人のお客様が入店してきました。お客様は店内をうろうろして何かを探している様子。私はいつも通り「何かお探しですか?」とお声掛けしました。お客様は少し考えて、「このズボンと同じ物を探している。」と。
お客様のズボンを見せて頂き、タグ等商品を確定する物を探してみましたが、かなり年季の入ったズボンで膝は擦り切れ色もかなり落ちている様子。さらにタグも消えて真っ白になっていました。こちらの店で購入頂いていれば履歴が残っているかもしれないので、お名前を聞いて調べてみましたが何もなく、こちらで購入したかもわからないので、手がかりがなく探す術がない状態でした。私は店頭の類似商品をお勧めして購入して頂きました。
後日、そのお客様が再度来店。「おはよう、店長。やっぱり以前のズボンが欲しいんや。」と。私はそこまでして欲しい理由が気になって、お客様に尋ねました。お客様は少し間をおいてゆっくり話し始めました。
このズボンはお客様の奥様が購入してきた物で、色が気に入らないから返品して来いと言ったこと、奥様がそれに「裾直ししているから返品なんかできない。」と言い返して喧嘩になったこと。 ここまではよくある話なので聞いていると、お客様が言いよどんで最後に
「で、死んだ。」……。
喧嘩して次の日、奥様が突然亡くなってしまった事を、自分が怒らせてしまった事が原因ではないかと後悔している時、このズボンが目に入ってきて何か奥様が語りかけているように感じたそうです。「そんなに怒らないで、穏やかにしましょうよ。」と。
お客様はこのズボンを戒めとして、それからの人生は出来るだけ、怒らず穏やかに生きていこうと決意したそうです。
ここまで話を聞いてしまうと、必ずズボンを特定してお客様にお渡ししないと気が済まなくなった私は、どんな些細な事でもいいのでズボンに関する情報を聞き出して探そうとしました。お客様から新たな情報として、三枚購入した事を聞き出したので、私はその三枚全てを見せて欲しいとお願いして持ってきてもらいました。他の二枚のズボンも一枚目と同様に大変年季の入った物でしたが、かろうじてタグから数字が読めました。
この数字を手掛かりにして、古参の店長に聞いたり、作業服メーカーさんに見てもらったり、インターネットで調べたり、出来る限りの手を尽くしました。
なんとか商品を探し出すことができ、また、その商品が仕入れることができるもので、在庫もあるとわかった時は、自然とガッツポーズでした。
その後、商品の手配をし、お客様に入荷連絡を入れる際、同じ商品であると確信していても、事が事だけに少し慎重に『同じ物と思われる商品』が入荷した旨お伝えしました。
その日の陽が暮れる少し前に、お客様が少し不安そうな顔で来店し、商品をお見せした所、お客様は商品を見るなり「これやっ、間違いないっ!!」と、目に涙をためつつ商品を握りしめて、一言「ありがとう。」と言われたのです。
お会計を済ました後、出口で振り向いたお客様のその表情は、私にとって『忘れられない笑顔』となり、お客様の目からは一筋の光が見えたのです。